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ダウン (バンド) : ウィキペディア日本語版
ダウン (バンド)

ダウンDown)は、アメリカニューオーリンズ出身のヘヴィメタルバンド。元パンテラフィル・アンセルモを中心としたスーパーグループである。
== 来歴 ==
1991年、当時パンテラのボーカリストだったフィル・アンセルモと、コロージョン・オブ・コンフォーミティのギタリストのペッパー・キーナンクロウバーカーク・ウィンドスタイントッド・ストレンジ、そしてアイヘイトゴッドのドラマーであるジミー・バウアーによって結成される。彼らは以前からの友人同士であり、ブラック・サバスやセイント・ヴァイタス、トラブルなどを好んで聴いていた。この音楽的嗜好はそのままダウンの音楽性に反映されることになる。バンドは地元で小規模なライヴを行う一方で、メンバーが誰であるかを伏せたままデモ音源を配布。これが評判を呼び全米に流通。ある日のライヴでエレクトラ・レコードの重役が実際に演奏するダウンを目にしたことで、デモ音源を作ったバンドの正体を知り、レコード契約を提示した。
1995年にデビュー・アルバム『NOLA』を発表。ビルボード初登場55位を記録すると、本国アメリカでプラチナム・ディスクを獲得〔暴君、フィリップ・アンセルモ率いるダウン、6曲入りのEPを発表! 輸入盤特典として、解説・対訳PDFカードをダウンロードできるQRコード付で発売! ワーナー・ミュージック・ジャパン 2012年10月05日〕。アルバムをプロモートする短いツアーを行った後、メンバーはそれぞれのバンドに戻り、ダウンは活動を休止することになった。
1999年に活動を再開。同時にパンテラレックス・ブラウンがベーシストとして加わる。2001年の秋から冬にかけてアンセルモの自宅スタジオであるNodfertu’s Lairでレコーディングを行い、翌2002年に二作目となる『Down II』を発表。オズフェストのセカンド・ステージで全米を周った後に再び沈黙に入る。
2006年に新たにワーナー・ブラザーズ・レコードと契約し再始動。一年間を曲作りとライヴにあて、2007年に『III: Over The Under』をリリース。その内容はパンテラの解散とダイムバック・ダレルの死、ハリケーン・カトリーナによってもたらされた災害に対するバンドの怒り、そしてアンセルモ自身の薬物依存症からの脱却など、濃いテーマを扱ったものとなった。ビルボードでは初登場26位、初週の売上が2万9000枚。ローリング・ストーン誌の2007年の年間アルバム50で37位に選ばれ、翌年のメタル・ハマー・アワーズの最優秀アルバムにノミネートされた〔メタル・ハマー・アワーズ、ノミネート発表 barks 2008年4月11日〕。
リリースに先行してメガデスヘヴン・アンド・ヘルとツアーを周り、それが終わるとヘッドライナーとして長期のツアーに出る。2008年にはLOUD PARK出演のため来日した。
新作の制作が何度か噂になる中でバンドは2006年のツアーの模様を収録したライヴアルバム『Diary of a Mad Band』を2010年にリリース〔Phil Anselmo(PANTERA)在籍のDOWN、初のライヴ作品をリリース! 〕。2011年にはレックス・ブラウンが脱退し、クロウバーのベーシストであるパット・ブルーダーが加入。新体制のもとで2012年には5年ぶりとなる『Down IV Part I - The Purple EP』をリリースした。
2014年LOUD PARKに再び出演。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ダウン (バンド)」の詳細全文を読む



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